おはようございます。ら~くです。
昨日のマーケットは、
日経平均 約0.4%の下落
TOPIX 約0.2%の下落
東証REIT 約0.3%の下落でした。
日経平均 約0.4%の下落
TOPIX 約0.2%の下落
東証REIT 約0.3%の下落でした。
米中対立がパフォーマンスではなく、本当に火種になってきているように思います。一方、日経平均は、22500円を挟んだ値動きが6月初旬より続いております。
新型コロナによる各企業への決算の影響などは、だいぶ織り込まれてきていることから、何らかのサプライズイベントが生じない限り、22500円程度の推移を予測しますが、米中対立がまさにイベントとなるのでしょうか。
閑話休題、世間では、「株式投資は危ない(ギャンブルだ)」、という偏見があるように思うのですが、そのような風潮が生まれることについての私の仮説を綴ろうと思います。
仮説:情弱が多いため
私は、前述したような風潮が生まれるのは、- 情弱が多いから
ではないかと考えております。
これからその理由を詳しく述べていきます。
情弱の定義とは
情報弱者のことを、略して、情弱と記します。正しい意味というか、もともとは、デジタルツールの活用練度による情報格差を表す用語として、下記のような意味であったように思います。
- 情報資源に満足にアクセスできない人や、情報を充分に活用できない人を指す俗称である。 コンピュータやインターネットが発達・普及している、現在の高度情報化社会においては、得られる情報の量や質の差が、社会的、経済的な格差を生みやすい。
しかしながら、現実では、馬鹿にしたというか、見下したニュアンスで使われることが一般的です。
要は、「頭が悪い」ということを「情弱ですね」みたいな感じで使われることが多いように思います。
私は、次に述べる、城繫幸氏の情弱の定義を採用したいと思います。
城繫幸氏の定義
私は、城氏のメルマガを購読しているのですが、氏の7/10のメルマガでは、下記のように定義されておりました。
- 自分の願望とファクトの区別がつかない
- 自分の見たいものしか見ず、聞きたいことしか耳に入れない
- 自分で努力も成長もできない
- 自分の不都合は常に誰かのせいだと考える
なかなか痛烈な定義です。
- 城氏は、個人が本来努力して解決すべき問題を、誰かのせいにしながら文句ばっかり言っていても仕方ない
という考えをお持ちのようです。
実際、個々人の能力の格差はそれなりにありますので、城氏のように突き放してしまうと、特に能力が低い層は社会で落ちこぼれてしまうため、やりきれないと感じる人もいるかとは思いますが、私はどちらかというと城氏の主張に賛成です。
(これは、自分自身が、大企業に勤務している今の立場があるからかもしれません)
やはり、何であれ、本人が「努力する」「頑張る」というプロセスは必要であると思います。
- 自分が今、報われないのは、誰か悪い奴がいてそいつらが甘い汁を吸っているからだ
と考える層が、山本太郎氏などを支持するのでしょうが、やはり、よりよい生活をするためには、本人による自助努力が欠かせません。
例えば、「お金がない」という状況については、「政府がお金をばらまくべきだ」という考えをするのではなく、
- 日々の支出で無駄遣いしていないか見直してみよう
- 副業をして収入を上げよう
- 資格を身に着けて、転職して、給料を上げよう
という考えをするべきだと思います。
株式投資と情弱
思うに、株式投資を行う人にも、城氏の定義による情弱の人も一定数いるように思います。無駄に勇ましい集中投資や信用取引を行って、市場から退場していくそのような人たちの捨て台詞が
- 株式市場は、一部のお金持ちが、個人投資家からお金を巻き上げる構造となっている
という陰謀論のようなものです。。。
なんとなく、このような言説を流布するような人たちが一定数いるため、
- 株式投資はギャンブルだ
- 株式投資は危険だ
と考える日本人が多いように思います。
過去のブログにも書きましたが、投資とギャンブルには明確な違いがありますし、一般論として投資は良いことなはずなのですが、株式投資に対する世間の偏見はなかなか変わりませんね。
私は、まだ5年間しか市場にはおりませんが、私の経験からは、株式市場はかなり公平なマーケットだと言い切れます。
公平でありすぎる結果、プロだろうが素人だろうが、期待リターンは平均に回帰するゲームだと考えておりますので、手法としてインデックス投資を実践しています。
今後も、Stay Marketする所存です。
たぶんつづく
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