おはようございます。ら~くです。
本日は、会社以外の居場所の重要性について私の考えを綴ろうと思います。カカシの夏休み by 重松清
ただいま、引っ越しに備えて部屋のCDや本などを断捨離中です。20年くらい前に読んで、良い本だなと思い手元に残していた本も断捨離対象としました。
そのため、最後にもう一度味わって読みましたw
その作品名は、
- カカシの夏休み
でして、著者は直木賞作家の重松清です。
やはり名作だなあと思いましたが、著者は有名作家ですから、いつでもkindleで買い戻せると思い処分しました。
著者の作品は、ご紹介した作品だけでなくほかの作品も、市井の人々の人生のほろ苦さや難しさに目をそらすことなく、でも前向きに生きて行こうよ、というようなメッセージが溢れているので、ちょっと疲れている時などに読むと明日に向かっての元気が出てくるのでお薦めです。
「定年ゴジラ」なんかは、世代物として読んでも色々と感じるところもありましたし。
リストラされた中高年
ご紹介した作品は、3品の中編小説が収められております。- カカシの夏休み
- ライオン先生
- 未来
それは
- リストラされた中高年が、物語の重要な登場人物となっている
ことです。
ややネタバレとなりますが、1の作品ではリストラされた中高年が単身赴任から自宅に戻ってきて子どもへ体罰をしておりますし、2ではリストラされた中高年が家に引きこもってしまいその哀れな姿を見た高校生の子どもが「頑張ったって良いことないから、高校を中退しよう」という行動をとっております。
両作品とも、リストラされた中高年が、「哀れな存在」、「社会から見捨てられた存在」、「自尊心を著しく傷つけられた存在」、として描かれており、ああそういう受け止められ方をする時代だったなあ、と感慨深く思いました。
今のFIREブームについては疑問を感じるところもありますが、多様性という観点では、「別に仕事をしていなくたって楽しく過ごしてもよいじゃないか」という生き方を肯定的に認めようという動きでもあり、そのこと自体は否定するものではないとも思います。
2000年前後は、リストラが流行った
ご紹介した作品は1990年代後半に書かれております。
今でこそ「終身雇用の崩壊」が叫ばれて久しいですが、当時はまだリストラが珍しかった時代なんですよね。それこそ、カルロス・ゴーンが日産の社長に就任しリストラを断行したり、その他日本の多くの電気メーカーが(主にブルーカラーを対象に)リストラを断行された時代です。
現在では、会社からリストラされたら自分のアイデンティティが保てない、とまで会社と自身の存在理由を関連付けている方は少ないと思いますが、それこそ20年くらい前はそのように考えている人が多かったのだと思います。
まだ、私は高校生から大学生でしたが。
だからこそ、リストラの対象となった方は、まずその事実に恥を感じ、社会からの冷たい視線に耐えなければならなかったのでしょう。
転職も今ほど一般的ではなかったですから、なんというか、いったんレールから外れてしまうと生きにくい時代だったのだなと思います。
会社以外の居場所の重要性
先日のブログにも記載しましたが、今後、45歳定年制とまではいかなくても、45歳くらいで会社からお役御免というような事実上の通告を受けるような時代になっていくのではないかと感じています。そのような時代に備えて、「45歳でサイドFIREできるくらいの資産形成を」とブログでは主張しましたが、それに加えて、「会社以外の居場所を持ちましょう」ということも必要なのだな、と思う今日この頃です。
たぶんつづく
たぶんつづく
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